「聖女の戸締り」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
(ページの作成:「聖女の戸締りとは、K5の投稿小説(SS)。 「あは……やらしい」「わりぃでもカニなんだ!」等のセリフ回しが特徴的だ...」)
 
編集の要約なし
1行目: 1行目:
聖女の戸締りとは、[[K5]]の投稿小説(SS)。
'''聖女の戸締り'''とは、[[K5]]の投稿小説(SS)。<br>
「あは……やらしい」「わりぃでもカニなんだ!」等のセリフ回しが特徴的だ。
「あは……やらしい」「わりぃでもカニなんだ!」等のセリフ回しが特徴的だ。


7行目: 7行目:
   自分の裸の写真を見つめながら、これもナルシストなのかなと佐伯真夜は思った。
   自分の裸の写真を見つめながら、これもナルシストなのかなと佐伯真夜は思った。
   鳥の鳴き声に顔を向ける。二階の窓から見える空は暮れかけており、部屋の中も薄暗い。
   鳥の鳴き声に顔を向ける。二階の窓から見える空は暮れかけており、部屋の中も薄暗い。
  張り出した山の木の枝の間から、遠くに鳥が飛んでいるのが見えた。
 張り出した山の木の枝の間から、遠くに鳥が飛んでいるのが見えた。
   急がないと暗くなっちゃう。真夜は鞄からピンの入ったケースを取り出して、写真と一緒に壁際に向かった。
   急がないと暗くなっちゃう。真夜は鞄からピンの入ったケースを取り出して、写真と一緒に壁際に向かった。
   住人が居なくなって久しい、廃屋と呼んで差し支えない古い洋館。
   住人が居なくなって久しい、廃屋と呼んで差し支えない古い洋館。
  元は白かったらしい壁も煤けたように変色し、所々漆喰が剥がれ落ち黄色い土壁が覗いていた。
 元は白かったらしい壁も煤けたように変色し、所々漆喰が剥がれ落ち黄色い土壁が覗いていた。
   真夜は壁の前に立つと、十四歳には不似合いの淫らな笑みを浮かべた。壁の中ほどに止められた何十枚もの写真。
 真夜は壁の前に立つと、十四歳には不似合いの淫らな笑みを浮かべた。
   壁の中ほどに止められた何十枚もの写真。
   中学のブレザー姿、下着姿、中には全裸で卑猥なポーズをとった物も、すべて真夜本人の写真だった。
   中学のブレザー姿、下着姿、中には全裸で卑猥なポーズをとった物も、すべて真夜本人の写真だった。
   ホコリまみれのソファーの背もたれに靴で乗って、上に空いたスペースに写真をピンで留めていく。
   ホコリまみれのソファーの背もたれに靴で乗って、上に空いたスペースに写真をピンで留めていく。
18行目: 19行目:
   写真の背景は、まさに今貼られている壁だった。
   写真の背景は、まさに今貼られている壁だった。
   ソファーから降りて壁一面を眺める。最初の頃の写真は大人しいものだった。
   ソファーから降りて壁一面を眺める。最初の頃の写真は大人しいものだった。
   人気のない山のふもととはいえ、自分の家以外で、それも半ば野外とも感じられる廃屋の一室で肌を晒すのは倒れそうな程の興奮だった。
   人気のない山のふもととはいえ、自分の家以外で、それも半ば野外とも感じられる廃屋の一室で肌を晒すのは倒れ
 そうな程の興奮だった。
   なのに、自分はなんていやらしい人間なんだろう――。
   なのに、自分はなんていやらしい人間なんだろう――。
   さらなる刺激を求める自分の奥底を感じつつ、いつものようにテーブルの上の鞄からデジカメを取り出そうとした時、真夜はこの部屋に居るのが自分だけではない事に気付いた。
   さらなる刺激を求める自分の奥底を感じつつ、いつものようにテーブルの上の鞄からデジカメを取り出そうとした
   黄色い瞳が窓の外の光を反射して光る。影絵のように黒い猫は、鳴きもせずに部屋の前を通過して階段を降りていった。
   時、真夜はこの部屋に居るのが自分だけではない事に気付いた。
 黄色い瞳が窓の外の光を反射して光る。影絵のように黒い猫は、鳴きもせずに部屋の前を通過して階段を降りてい
 った。
   立ち尽くして見送った真夜の心臓が、思い出したかのように高鳴り始める。胸元を押さえてため息をつく。
   立ち尽くして見送った真夜の心臓が、思い出したかのように高鳴り始める。胸元を押さえてため息をつく。
   だが胸の動悸は治まらず、むしろ高まっていった。
   だが胸の動悸は治まらず、むしろ高まっていった。
37行目: 41行目:
  「変電所のある山ん中で、隆志がすごい怪しい洋館見つけたっていうからさ。三人で見に行こうって話してたんだよ」
  「変電所のある山ん中で、隆志がすごい怪しい洋館見つけたっていうからさ。三人で見に行こうって話してたんだよ」
  「そんなトコわざわざ行くなんておかしいよ、真夜ちゃんもそう思うよね? ――真夜ちゃん?」
  「そんなトコわざわざ行くなんておかしいよ、真夜ちゃんもそう思うよね? ――真夜ちゃん?」
   緊張が顔に出ないよう気をつけながら、真夜は立ち上がった。椅子がギギギと耳障りな音を立てて後ろに下がる。
   緊張が顔に出ないよう気をつけながら、真夜は立ち上がった。
 椅子がギギギと耳障りな音を立てて後ろに下がる。
  「……面白そうじゃない。詳しく聞かせて欲しいな」
  「……面白そうじゃない。詳しく聞かせて欲しいな」


45行目: 50行目:
  「ごめん急におなか痛くなっちゃった大変あたし悪いけど先にかえるねっ」
  「ごめん急におなか痛くなっちゃった大変あたし悪いけど先にかえるねっ」
   一気にまくし立てて顔の前で手を合わせると、誰の反応も待たずに真夜は来た山道を駆け戻った。
   一気にまくし立てて顔の前で手を合わせると、誰の反応も待たずに真夜は来た山道を駆け戻った。
   大きく腕を振り上げるマジ走りで斜面の向こうに走りこむ。途中で、置いていかれたゆかりの悲鳴が聞こえたが、真夜は心を鬼にした。
   大きく腕を振り上げるマジ走りで斜面の向こうに走りこむ。途中で、置いていかれたゆかりの悲鳴が聞こえたが
 、真夜は心を鬼にした。
   頭の中に浮かべた地図を頼りに、山道を外れた藪に分け入って斜面を駆け上がる。
   頭の中に浮かべた地図を頼りに、山道を外れた藪に分け入って斜面を駆け上がる。
   背中で束ねた長い髪が時折引っ張られる感覚がしたが、気にせず走り抜けた。
   背中で束ねた長い髪が時折引っ張られる感覚がしたが、気にせず走り抜けた。
51行目: 57行目:
   ぐずぐずしてらんない。低い柵を乗り越えていつもの出入り口――ドアが外れた裏口から中に入る。
   ぐずぐずしてらんない。低い柵を乗り越えていつもの出入り口――ドアが外れた裏口から中に入る。
   二階に上がりすぐ左手、薄闇に包まれた部屋の中で、壁に張られた写真がぬらぬらと光っていた。
   二階に上がりすぐ左手、薄闇に包まれた部屋の中で、壁に張られた写真がぬらぬらと光っていた。
   間に合った……。真夜は長い吐息を漏らすと、開いたドアに背中と頭をくっつけて胸の奥から来る笑いの発作にしばし胸を揺らした。
   間に合った……。真夜は長い吐息を漏らすと、開いたドアに背中と頭をくっつけて胸の奥から来る笑いの発作にし
   まだ終わってない、しっかりしないと。自分を叱咤する。これだけの写真を剥がすには、手早くやっても何分かかるだろう。
   ばし胸を揺らした。
 まだ終わってない、しっかりしないと。自分を叱咤する。
 これだけの写真を剥がすには、手早くやっても何分かかるだろう。
   真夜はいつもの様にソファーの背もたれに登り、ピンはそのままに写真を引き剥がし始めた。
   真夜はいつもの様にソファーの背もたれに登り、ピンはそのままに写真を引き剥がし始めた。
   全裸にスカートを前掛けのように咥えた自分、局部だけをアップにした写真、自分で乳房を揉み上げた写真もある。剥ぐ手が遅くなり、見つめる時間が少しずつ長くなっていった。
   全裸にスカートを前掛けのように咥えた自分、局部だけをアップにした写真、自分で乳房を揉み上げた写真もある。
 剥ぐ手が遅くなり、見つめる時間が少しずつ長くなっていった。
   もしも――と真夜は思う。この写真が見つかったらと。
   もしも――と真夜は思う。この写真が見つかったらと。
   自分と同じ中学2年の男子三人、三人のオトコに、逆らいようのない弱みを握られたら。佐伯真夜がどれだけいやらしい女か、人気のない山の廃屋で知られたら――。
   自分と同じ中学2年の男子三人、三人のオトコに、逆らいようのない弱みを握られたら。
 佐伯真夜がどれだけいやらしい女か、人気のない山の廃屋で知られたら――。
   次の写真に手を伸ばした真夜の足が、ずるりと背もたれから滑り落ちた。
   次の写真に手を伸ばした真夜の足が、ずるりと背もたれから滑り落ちた。
   
   
  「おい、今なんか音したか……?」
  「おい、今なんか音したか……?」
   目の前で三人の級友が話し合っている。開きっぱなしの門の下で、松串ゆかりは雑草だらけの広い庭とその向うの大きなお化け屋敷を見つめて首を横に振った。
   目の前で三人の級友が話し合っている。開きっぱなしの門の下で、松串ゆかりは雑草だらけの広い庭とその向うの
 大きなお化け屋敷を見つめて首を横に振った。
  「だよな。気のせい気のせい」
  「だよな。気のせい気のせい」
   ゆかりを見て楽天家が笑って頷く。ゆかりは首を振り続けた。ちがうちがうの音だけじゃないよ女の子の悲鳴も聞こえたんだよ真夜ちゃんひどいよ置いてくなんてヒドイよ――。
   ゆかりを見て楽天家が笑って頷く。ゆかりは首を振り続けた。
 ちがうちがうの音だけじゃないよ女の子の悲鳴も聞こえたんだよ真夜ちゃんひどいよ置いてくなんてヒドイよ――。
   
   
   またやっちゃった、なんであたしはこんなにやらしいんだろう。妄想をしだすと止まらなくなる。真夜はひっくりかえったソファーと、鈍く痛む腰に顔をしかめた。
   またやっちゃった、なんであたしはこんなにやらしいんだろう。妄想をしだすと止まらなくなる。
   窓の外から細く悲鳴が聞こえて、身を固くする。窓に膝で這い寄ると、門から木立の中に消えていくブレザー姿の背中が見えた。
   真夜はひっくりかえったソファーと、鈍く痛む腰に顔をしかめた。
 窓の外から細く悲鳴が聞こえて、身を固くする。
 窓に膝で這い寄ると、門から木立の中に消えていくブレザー姿の背中が見えた。
   ――ゆかり、ごめんね。
   ――ゆかり、ごめんね。
   立ち上がろうと右足に体重をかけた瞬間に、頭の中で真っ白な光が爆発した。
   立ち上がろうと右足に体重をかけた瞬間に、頭の中で真っ白な光が爆発した。
   膝から下が溶けたように力が抜け、床に肩から倒れこむ。横倒しになってじっとしていると激痛はすぐに去ったが、心臓が血を送る度に右足首がずくずくと痛んだ。
   膝から下が溶けたように力が抜け、床に肩から倒れこむ。
 横倒しになってじっとしていると激痛はすぐに去ったが、心臓が血を送る度に右足首がずくずくと痛んだ。
   不吉な予感を感じ、心臓の鼓動が早くなる。引っくり返ったソファーに膝立ちで這い寄る。
   不吉な予感を感じ、心臓の鼓動が早くなる。引っくり返ったソファーに膝立ちで這い寄る。
   背もたれの下に手を入れるが、三人掛けのソファーは持ち上がる気配すらなかった。
   背もたれの下に手を入れるが、三人掛けのソファーは持ち上がる気配すらなかった。
  「ちょっと中見てみるだけだからさ、いってみようぜ」
  「ちょっと中見てみるだけだからさ、いってみようぜ」
   息の根が止まるかと思った。窓の外、たぶん玄関のドアのすぐ前に居る。床に座り込み、真夜は見開いた目で天井を仰いだ。
   息の根が止まるかと思った。窓の外、たぶん玄関のドアのすぐ前に居る。
   もうだめだ、あたしにはどうすることも出来ない。かくんと糸が切れたように真夜は顔を伏せ、前髪で顔が隠れ、そして――。
   床に座り込み、真夜は見開いた目で天井を仰いだ。
 もうだめだ、あたしにはどうすることも出来ない。かくんと糸が切れたように真夜は顔を伏せ、前髪で顔が隠れ、
 そして――。
  「……ふ、ふふ、ふふっ」
  「……ふ、ふふ、ふふっ」
   篭った声で真夜は笑った。淫らな妄想に耽る笑いではなかった、口元は不敵な笑みに曲がり開いていた。顔を上げる。瞳はぎらぎらと輝いていた。
   篭った声で真夜は笑った。淫らな妄想に耽る笑いではなかった、口元は不敵な笑みに曲がり開いていた。
   やってやる。絶望的な状況になぜか笑いの発作がこみ上げてきた。自分がこんなに負けず嫌いな性格だとは、思いもしなかった。
   顔を上げる。瞳はぎらぎらと輝いていた。
 やってやる。絶望的な状況になぜか笑いの発作がこみ上げてきた。自分がこんなに負けず嫌いな性格だとは、思い
 もしなかった。
   敵はこちらの三倍、しかも右足の被害は甚大。それでも――と真夜は思った。
   敵はこちらの三倍、しかも右足の被害は甚大。それでも――と真夜は思った。
  「やってやろうじゃん」
  「やってやろうじゃん」
85行目: 104行目:
   本町隆志はドアの外れた裏口の前で、他の二人を大声で呼んだ。
   本町隆志はドアの外れた裏口の前で、他の二人を大声で呼んだ。
  「こっから入れそーだぜー!」
  「こっから入れそーだぜー!」
   薄暗い入り口を見ているとわくわくしてくる。犬の散歩中にこの洋館を見つけて、親友達に探険を言い出したのも、まさにこの時の為だったのだ。
   薄暗い入り口を見ているとわくわくしてくる。犬の散歩中にこの洋館を見つけて、親友達に探険を言い出したのも、
 まさにこの時の為だったのだ。
   雑草を掻き分けて二人がやってくる。隆志は不意に、腹に押さえられるような感覚を感じた。
   雑草を掻き分けて二人がやってくる。隆志は不意に、腹に押さえられるような感覚を感じた。
  「大声だすな、これは立派な不法侵入にだな――」
  「大声だすな、これは立派な不法侵入にだな――」
  「それよりゆーき、なんか食い物もってねえ? 俺はらへってきたかも」
  「それよりゆーき、なんか食い物もってねえ? 俺はらへってきたかも」
  「おまえはなあ……」
  「おまえはなあ……」
   眼鏡をかけた少年が歯をかみ締めて額を押さえる。隆志の携帯がアニメの主題歌を大音量で鳴らしたのはその時だった。
   眼鏡をかけた少年が歯をかみ締めて額を押さえる。
 隆志の携帯がアニメの主題歌を大音量で鳴らしたのはその時だった。
  「はいはい、あれ、佐伯さん? 腹の具合は大丈夫?」
  「はいはい、あれ、佐伯さん? 腹の具合は大丈夫?」
  『うん、平気へいき。いやあちょうど帰りに本町君のお姉さんに会ってさ、今晩はカニ鍋って言ってたから』
  『うん、平気へいき。いやあちょうど帰りに本町君のお姉さんに会ってさ、今晩はカニ鍋って言ってたから』
98行目: 119行目:
   
   
  「わりぃでもカニなんだ!」
  「わりぃでもカニなんだ!」
   普段からひときわ大きい本町隆志の声と走り去る足音は、二階の階段前に伏せて階下を伺っていた真夜にもはっきりと聞こえた。
   普段からひときわ大きい本町隆志の声と走り去る足音は、二階の階段前に伏せて階下を伺っていた真夜にもはっき
 りと聞こえた。
   運動抜群の健康優良児、隆志の食い意地の悪さはクラスの誰もが知っていた。
   運動抜群の健康優良児、隆志の食い意地の悪さはクラスの誰もが知っていた。
   ――このままみんな帰って欲しいけど。期待を込めて待つ耳に、床を踏む足音が聞こえて、真夜は小さくため息をついた。やっぱりだめかあ。
   ――このままみんな帰って欲しいけど。期待を込めて待つ耳に、床を踏む足音が聞こえて、真夜は小さくため息を
 ついた。やっぱりだめかあ。
  「俺は二階いくよ。一回りしたらさっさと帰ろうな」
  「俺は二階いくよ。一回りしたらさっさと帰ろうな」
   声の主のプロフィールを脳裏に描きながら、真夜はそっと移動を始めた。
   声の主のプロフィールを脳裏に描きながら、真夜はそっと移動を始めた。
107行目: 130行目:
   【品評会作品】聖女の戸締り(4/5)◆FhAgRoqHQY
   【品評会作品】聖女の戸締り(4/5)◆FhAgRoqHQY
   
   
   あれは絶対に幽霊だった――。川内豊はもう大分暗い階段を登りながら、思い出したくも無い昔の記憶を脳裏から追い払えないでいた。
   あれは絶対に幽霊だった――。川内豊はもう大分暗い階段を登りながら、思い出したくも無い昔の記憶を脳裏から
   小学校にも上がらない子供の頃、たった一人で留守番していた時に見た白い女。あれから部屋の電気を付けたままでしか眠れなくなった事は、幼馴染の松串ゆかりしか知らない秘密だった。
   追い払えないでいた。
   こんなトコ早く帰ろう……。二階に上がりすぐ左手にある部屋に入ろうとした豊の耳に、小さく木のきしむ音が聞こえた。目だけを動かすと、廊下の突き当りの部屋の扉がゆっくりと閉まろうとしている所だった。
   小学校にも上がらない子供の頃、たった一人で留守番していた時に見た白い女。あれから部屋の電気を付けたまま
   ごくりと唾を飲み込む。扉は小さく隙間を残して止った。しばらく凝視してから足を踏み出したのは、むしろ何も居ない事を確認したいからだった。
   でしか眠れなくなった事は、幼馴染の松串ゆかりしか知らない秘密だった。
   扉の前に立つ。部屋の中には窓がないのか、廊下の薄明かりで開いた隙間に白いタイルが床に見えるほかは、真っ暗だった。
   こんなトコ早く帰ろう……。二階に上がりすぐ左手にある部屋に入ろうとした豊の耳に、小さく木のきしむ音が聞
 こえた。目だけを動かすと、廊下の突き当りの部屋の扉がゆっくりと閉まろうとしている所だった。
 ごくりと唾を飲み込む。扉は小さく隙間を残して止った。しばらく凝視してから足を踏み出したのは、むしろ何も
 居ない事を確認したいからだった。
 扉の前に立つ。部屋の中には窓がないのか、廊下の薄明かりで開いた隙間に白いタイルが床に見えるほかは、真
 っ暗だった。
   暗い部分に入ると死ぬ。そんな気持ちで豊は廊下に立ったまま、扉の根元を押して開いた。
   暗い部分に入ると死ぬ。そんな気持ちで豊は廊下に立ったまま、扉の根元を押して開いた。
  「風呂……?」
  「風呂……?」
   白い浴槽の端が薄闇に浮かび上がる。恐る恐る内側を覗き込もうとした豊の足首に冷たい帯が巻かれたのはその時だった。
   白い浴槽の端が薄闇に浮かび上がる。
   帯じゃなくて手だと分かったのはさすられたからで、それが女の手だと分かったのは、扉の影から上半身を乗り出して、床にはいつくばって、髪の毛が蜘蛛の足のように床にへばりつき白い背中が――。
   恐る恐る内側を覗き込もうとした豊の足首に冷たい帯が巻かれたのはその時だった。
 帯じゃなくて手だと分かったのはさすられたからで、それが女の手だと分かったのは、扉の影から上半身を乗り出
 して、床にはいつくばって、髪の毛が蜘蛛の足のように床にへばりつき白い背中が――。
   女の舌がズボンの下からすねを舐め上げた。
   女の舌がズボンの下からすねを舐め上げた。
   
   
   人間大の鉄球が転がり落ちるような音を立てて階段を降りていくのを聞きながら、真夜は手を付いてショーツ一枚の身体を起こした。
   人間大の鉄球が転がり落ちるような音を立てて階段を降りていくのを聞きながら、真夜は手を付いてショーツ一枚
   ゆかりから聞いていた豊のトラウマを利用したのだが、正直今のはかなりやばかったと思った。心臓は壊れたみたいに鼓動を打ち続け、軽く触れただけで震えがくるほど肌が熱く敏感になっているのが分かった。
   の身体を起こした。
   全裸一歩手前の格好で四つんばいで音を立てないように、写真の部屋に戻る。ソファーの陰に脱ぎ捨てた服を着る前に、一階から声が聞こえた。
   ゆかりから聞いていた豊のトラウマを利用したのだが、正直今のはかなりやばかったと思った。
 心臓は壊れたみたいに鼓動を打ち続け、軽く触れただけで震えがくるほど肌が熱く敏感になっているのが分かった。
 全裸一歩手前の格好で四つんばいで音を立てないように、写真の部屋に戻る。
 ソファーの陰に脱ぎ捨てた服を着る前に、一階から声が聞こえた。
  「豊? しょうがないな」
  「豊? しょうがないな」
   最後の一人、眼鏡の秀才、村井裕樹の声だった。足音が裏口の方向に向かっている。
   最後の一人、眼鏡の秀才、村井裕樹の声だった。足音が裏口の方向に向かっている。
   帰るんだ――。真夜の顔がぱっと晴れた。部屋の中に低いくぐもった音が響いたのは、そんな時だった。数秒の間、真夜はそれが何の音か分からなかった。
   帰るんだ――。真夜の顔がぱっと晴れた。部屋の中に低いくぐもった音が響いたのは、そんな時だった。
   視界の中でチカチカと瞬く光。テーブルの上で震えている携帯だと気付いた目の前で、斜めにかしいだテーブルの端からそれはすべり落ちた。
   数秒の間、真夜はそれが何の音か分からなかった。
 視界の中でチカチカと瞬く光。テーブルの上で震えている携帯だと気付いた目の前で、斜めにかしいだテーブルの
 端からそれはすべり落ちた。
   
   
   物音を聞いた気がして、村井裕樹は立ち止まった。
   物音を聞いた気がして、村井裕樹は立ち止まった。
133行目: 168行目:
   【品評会作品】聖女の戸締り(5/5)◆FhAgRoqHQY
   【品評会作品】聖女の戸締り(5/5)◆FhAgRoqHQY
   
   
   村井君が壁一面の写真を眺めている後ろで、あたしはショーツ一枚の姿でどうすることもできず座り込んで床を見つめていた。
   村井君が壁一面の写真を眺めている後ろで、あたしはショーツ一枚の姿でどうすることもできず座り込んで床を見
 つめていた。
  「佐伯さんて写真が好きだったんだ」
  「佐伯さんて写真が好きだったんだ」
   顔を上げると、彼はテーブルに置いた私の鞄からデジカメを取り出してこっちを見ていた。
   顔を上げると、彼はテーブルに置いた私の鞄からデジカメを取り出してこっちを見ていた。
139行目: 175行目:
   眼鏡越しのどこか冷たい目に見つめられて、あたしは彼の求めるままに立ち上がり最後の一枚を――。
   眼鏡越しのどこか冷たい目に見つめられて、あたしは彼の求めるままに立ち上がり最後の一枚を――。
   危ないところで真夜は我に返った。
   危ないところで真夜は我に返った。
   胸元に電源を切った携帯を握り締めて、扉の影から階段を伺う。階下から裕樹に呼びかけられて頭がトンでからまだ数秒も経ってはいなかった。
   胸元に電源を切った携帯を握り締めて、扉の影から階段を伺う。
 階下から裕樹に呼びかけられて頭がトンでからまだ数秒も経ってはいなかった。
   ぎしり。ゆっくりと階段を登る足音が聞こえる。
   ぎしり。ゆっくりと階段を登る足音が聞こえる。
   もうだめだと思った。穴があったら入りたいと思った。いっそ部屋の鍵を閉めてとじこもってしまいたいと思った――。
   もうだめだと思った。穴があったら入りたいと思った。
 いっそ部屋の鍵を閉めてとじこもってしまいたいと思った――。
   
   
   裕樹が門から出て行く後姿を、真夜は二階の窓から確認した。
   裕樹が門から出て行く後姿を、真夜は二階の窓から確認した。
   振り向いて、しっかり閉じられた部屋の扉とカギを見て深いため息を漏らす。今までの苦労を思うと、自分がもう一人肩に乗っている気がした。
   振り向いて、しっかり閉じられた部屋の扉とカギを見て深いため息を漏らす。今までの苦労を思うと、自分がもう
   ゆっくりと右足を床につけると、なんとか歩けるようになっていた。念のためカギを開けて扉をひらき、廊下に顔を出して耳を澄ませてみたが、音は一切しなかった。
   一人肩に乗っている気がした。
 ゆっくりと右足を床につけると、なんとか歩けるようになっていた。念のためカギを開けて扉をひらき、廊下に顔
 を出して耳を澄ませてみたが、音は一切しなかった。
  「たすかったあ……」
  「たすかったあ……」
   少し迷って、真夜は壁の写真を剥がし始めた。いつまた三人が来るかも知れない。まだ痛む右足を庇いながら十分ほど過ぎた時、真夜はこの部屋に居るのが自分だけではない事に気付いた。
   少し迷って、真夜は壁の写真を剥がし始めた。いつまた三人が来るかも知れない。まだ痛む右足を庇いながら十分
 ほど過ぎた時、真夜はこの部屋に居るのが自分だけではない事に気付いた。
   大きな丸い目が、テーブルの上に置かれた剥がし終わった写真を見つめている。
   大きな丸い目が、テーブルの上に置かれた剥がし終わった写真を見つめている。
  「ゆかり……」
  「ゆかり……」
   ゆかりの肩が跳ね上がり、おどおどした顔が真夜を見つめる。
   ゆかりの肩が跳ね上がり、おどおどした顔が真夜を見つめる。
  「あ……、わ、わたし……真夜ちゃんが心配で、電話したけどでないし、電源切れちゃうし、だから……だから……」
  「あ……、わ、わたし……真夜ちゃんが心配で、電話したけどでないし、電源切れちゃうし、だから……だから
 ……」
   あの電話、と真夜は思った。
   あの電話、と真夜は思った。
   秘密を知られたというのに、なぜかその事はたいして気にならなかった。自分を心配して一人で日暮れの山道を戻ってくれた恐がりの親友の前では、本当にたいした事ではないと思えた。
   秘密を知られたというのに、なぜかその事はたいして気にならなかった。
 自分を心配して一人で日暮れの山道を戻ってくれた恐がりの親友の前では、本当にたいした事ではないと思えた。
  「ね、いいこと教えてあげよっか」
  「ね、いいこと教えてあげよっか」
   首を小さくかしげるゆかりの前で――。
   首を小さくかしげるゆかりの前で――。
1,359

回編集

案内メニュー