「並べて学ぶ小目定石の周辺」の版間の差分

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初出は1669年07月29日
 初出は1669年07月29日


安井知哲 本因坊道策 1669-07-29 W+4
安井知哲 本因坊道策 1669-07-29 W+4


ときは徳川幕府四代将軍家綱の時代のこと。
 ときは徳川幕府四代将軍家綱の時代のこと。


道策は棋聖とされる人であり、ただ力任せに闘いあう囲碁を、
 道策は棋聖とされる人であり、ただ力任せに闘いあう囲碁を、全局の調和と合理を重視する囲碁へと変革させた人です。太平の世になったことで碁も闘いから調和へと変わったのでしょうか。
全局の調和と合理を重視する囲碁へと変革させた人です。
太平の世になったことで碁も闘いから調和へと変わったのでしょうか。


これは秀策コスミ定石ですから、本因坊秀策による対局例も挙げておきます。
 これは秀策コスミ定石ですから、本因坊秀策による対局例も挙げておきます。


御城碁第468局1849御城碁第468局1849 本因坊秀策 安井算知 1849-11-17 B+11
御城碁第468局1849御城碁第468局1849 本因坊秀策 安井算知 1849-11-17 B+11
(これ以前にも安田秀策時代にこの定石を用いた対局があります。)
(これ以前にも安田秀策時代にこの定石を用いた対局があります。)


小目にケイマガカリという手順は、逆に小目にケイマジマリされたときに
 小目にケイマガカリという手順は、逆に小目にケイマジマリされたときに


*隅がほぼ確実に地になる
*隅がほぼ確実に地になる
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*結果として隅・辺両方が地になる可能性がある
*結果として隅・辺両方が地になる可能性がある


というデメリットがあり、これを封じるために相手の一番打ちたいところに打つ、という発想です。
 というデメリットがあり、これを封じるために相手の一番打ちたいところに打つ、という発想です。三線のカカリなのでかかった方も地になりやすい傾向があります。
三線のカカリなのでかかった方も地になりやすい傾向があります。
 
 
 この定石は江戸期~第二次世界大戦以前はまとまった対局例がありますが、戦後は出現頻度が減ります。戦前の対局例を一つ。真珠湾攻撃が1941年12月ですからこれは太平洋戦争直前の対局事例となります。
 
大手合 秋期 篠原正美 本因坊秀格(高川秀格) 1941-11-12 B+4
 
 コミの導入と共にいったん出現頻度が減った定石ですが、2000年ころから韓国・中国で再び打たれるようになり、2002年~2005年にブームを迎えます。
 
第3回 日本-中国 阿含桐山杯 winners'Match 趙善津 劉菁 2002-01-11 B+R
 
 それ以降も若干頻度は減るものの日中韓合わせて月に2,3局は出現し続けています。2002年に日中韓のコミが6目半に統一されたことで評価が変わった定石であることは間違いありません。コミ4目半が定石にスピード、展開力を求めた碁であったならば、コミ6目半の碁は定石に堅実さ、耐久力を求めているのかもしれません。


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