「置碁必勝法検討スレ/並べて学ぶ定石とヨセ」の版間の差分

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 プロの棋譜ではこの二定石を使うと他の三隅は定石型にはならないようです(早い段階で戦い・競り合いになる)。他の定石とは相性が悪いということなのでしょうか。ここでは終局する棋譜から各々一例を挙げることにしました。<br>
 プロの棋譜ではこの二定石を使うと他の三隅は定石型にはならないようです(早い段階で戦い・競り合いになる)。他の定石とは相性が悪いということなのでしょうか。ここでは終局する棋譜から各々一例を挙げることにしました。<br>
 なお、ナダレ定石回避型については「もっと並べて学ぶ定石とヨセ」の第二集に掲載しています。大斜定石を仕掛けられたらすなおに「ごめんなさい、他の定石にしてください」と言いましょう。難解定石を仕掛てくる相手は覚えておいて、次回の対局からは小目に大ゲイマガカリするなどして、相手の思惑を外すことも大事です。<br>
 なお、ナダレ定石回避型については「もっと並べて学ぶ定石とヨセ」の第二集に掲載しています。大斜定石を仕掛けられたらすなおに「ごめんなさい、他の定石にしてください」と言いましょう。難解定石を仕掛てくる相手は覚えておいて、次回の対局からは小目に大ゲイマガカリするなどして、相手の思惑を外すことも大事です。<br>
『[[定石とヨセ#追補『一隅星』]]』sgfファイル<br>


=== 小目平行 ===
=== 小目平行 ===
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第22回 十段戦 小林光一 佐藤直男 1983-08-04 B+2.5<br>  
第22回 十段戦 小林光一 佐藤直男 1983-08-04 B+2.5<br>  
https://badukmovies.com/pro_games/11471-kobayashi-koichi-sato-sunao<br>


=== 解説なし ===
=== 解説なし ===
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第16回 名人戦 金秀壮 李東奎 1985-07-04 B+9.5<br>  
第16回 名人戦 金秀壮 李東奎 1985-07-04 B+9.5<br>  
https://badukmovies.com/pro_games/12439-kim-su-chang-yi-tong-kyu<br>


<div style="font-size: 10px; width: 22.5em; ">
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第7回 棋聖戦 小林光一 羽根泰正 1982-08-19 B+0.5<br>  
第7回 棋聖戦 小林光一 羽根泰正 1982-08-19 B+0.5<br>  
https://badukmovies.com/pro_games/11087-kobayashi-koichi-hane-yasumasa<br>


=== 難解定石回避型 ===
=== 難解定石回避型 ===
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第8回 NewStarMatch( 中国- 韓国) 朴永訓 古力 2005-05-24 B+3.5<br>
第8回 NewStarMatch( 中国- 韓国) 朴永訓 古力 2005-05-24 B+3.5<br>
https://badukmovies.com/pro_games/33532-park-yeonghun-gu-li<br>
ミニ中国流に遠いところの消しから入ったところ、ケイマバサミになったようです。
ミニ中国流に遠いところの消しから入ったところ、ケイマバサミになったようです。


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第7回 名人戦 本因坊秀格(高川秀格) 杉内寿子 1981-09-24 B+2.5<br>
第7回 名人戦 本因坊秀格(高川秀格) 杉内寿子 1981-09-24 B+2.5<br>
https://badukmovies.com/pro_games/10747-takagawa-shukaku-sugiuchi-kazuko<br>


 ここでは棋譜でーたべーすの表記通り1981年の対局としましたが、対局者名などを考えると本当は1968年の旧名人戦 第7期(読売新聞主催時代)の対局ではないかと思います。一方でもし本当に1968年の対局ならば、記録にある公式戦での初出ということになり、1978-1980年頃に中国で研究が進んだと読み取れる他の棋譜との間で整合性が取りにくくなります。しかし定石の初出というものは時代を10年、20年先取りしているのが当たり前ですし、1968年の高川秀格は「不死鳥」とも言われた当たり年でしたから(wikipedia「名人 (囲碁)」参照)、いろいろなアイデアが湧いてきたのかもしれません。<br>
 ここでは棋譜でーたべーすの表記通り1981年の対局としましたが、対局者名などを考えると本当は1968年の旧名人戦 第7期(読売新聞主催時代)の対局ではないかと思います。一方でもし本当に1968年の対局ならば、記録にある公式戦での初出ということになり、1978-1980年頃に中国で研究が進んだと読み取れる他の棋譜との間で整合性が取りにくくなります。しかし定石の初出というものは時代を10年、20年先取りしているのが当たり前ですし、1968年の高川秀格は「不死鳥」とも言われた当たり年でしたから(wikipedia「名人 (囲碁)」参照)、いろいろなアイデアが湧いてきたのかもしれません。<br>
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 定石を打ったところまで棋譜を載せるようにしました(進行によって省略あり)。<br>
 定石を打ったところまで棋譜を載せるようにしました(進行によって省略あり)。<br>
 次の一手を考えてから、棋譜でーたべーすへのURLをクリックすると、<br>
 次の一手を考えると「布石のベスポジ」(日本棋院)のような問題にもなります。<br>
 「布石のベスポジ」(日本棋院)のような問題にもなります。<br>


 皆様の棋譜並べの参考になれば幸いです。<br>
 皆様の棋譜並べの参考になれば幸いです。<br>
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