「並べて学ぶ小目定石の周辺」の版間の差分

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 初出は<br>
 初出は<br>
*1942-07-1 大手合 春期、白 木谷実 対 黒 篠原正美 <br>
*1942-07-1 大手合 春期、白 木谷実 対 黒 篠原正美 <br>
http://kifdatabase.no-ip.org/igo/index.php?cmd=kif&cmds=display2&kid=30272<br>
 です。1990年代後半に一度出現頻度が減少しました。特に以下の対局の間にあたる一年半間は全く棋譜がなく、一度絶滅したようにも見えます。<br>
 です。1990年代後半に一度出現頻度が減少しました。特に以下の対局の間にあたる一年半間は全く棋譜がなく、一度絶滅したようにも見えます。<br>
*1998-08-27 第23回 棋聖戦 白 工藤紀夫 黒 小林光一<br>
*1998-08-27 第23回 棋聖戦 白 工藤紀夫 黒 小林光一<br>
http://kifdatabase.no-ip.org/igo/index.php?cmd=kif&cmds=display2&kid=24141<br>
*2000-03-09 第38回 十段戦 決勝 白 小林光一 黒 中野寛也<br>
*2000-03-09 第38回 十段戦 決勝 白 小林光一 黒 中野寛也<br>
http://kifdatabase.no-ip.org/igo/index.php?cmd=kif&cmds=display2&kid=916<br>
 その後は復活し、プロの対局を調べても2006年以降は第一集~第三集の三定石の中でファーストチョイスの地位を占めています。
 その後は復活し、プロの対局を調べても2006年以降は第一集~第三集の三定石の中でファーストチョイスの地位を占めています。
 1990年代後半は星定石全盛であったこと、2002年のコミ6目半への改定、それ以降は俗に”せちがらい”、”なんでもあり”と言われるような対局が増えたことなどが関係しているのでしょう。当時30歳の中野が大御所の小林光一を相手に十段戦決勝の場で最初の一隅をこの定石で始めたというところには、この定石の新しい解釈があったのだと思います。<br>
 1990年代後半は星定石全盛であったこと、2002年のコミ6目半への改定、それ以降は俗に”せちがらい”、”なんでもあり”と言われるような対局が増えたことなどが関係しているのでしょう。当時30歳の中野が大御所の小林光一を相手に十段戦決勝の場で最初の一隅をこの定石で始めたというところには、この定石の新しい解釈があったのだと思います。<br>
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